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私の町の玉手箱

川崎平右衛門さんと言う人を御存知ですか。

平成29年6月6日は没後250年目の命日になる府中市の偉人です。

府中郷土の森に佇む平右衛門定孝 銅像の背後の木は武蔵野新田世話役の功労として、大岡越前守から賜った、「サンシュユの木」
府中郷土の森に佇む平右衛門定孝 銅像の背後の木は武蔵野新田世話役の功労として、大岡越前守から賜った、「サンシュユの木」
 皆さんは、江戸時代中期に活躍した府中の偉人
   川崎平右衛門さんと言う人をご存知ですか? 
 押立村(現押立町)の農家に生まれた川崎平右衛門定孝は大岡越前に抜擢されて、飢饉で苦境になった武蔵野新田の世話役となった。治水や農業運営にも手腕を発揮、恒久的な対策を実現したことで、農民から慕われ、各地に慰霊碑や謝恩塔が建立され、今日までもその功績に感謝されている方です。
 晩年は勘定吟味役兼石見銀山奉公にまで上り詰めた、府中の誇れる偉人です。
 来年平成29年6月6日は没後250年目の命日です。これを切掛けに広く府中市民の方に知っていただければと思っております。
生家・現在は屋敷の様相も変わりました。<br>
生家・現在は屋敷の様相も変わりました。
府中市押立町龍光寺にあるお墓。<br>(東京都指定旧跡です)
府中市押立町龍光寺にあるお墓。
(東京都指定旧跡です)
川崎平右衛門定孝の略歴
 1694年3月15日(元禄7年)多摩郡押立村(現府中市押立町)に生まれ、幼少から学問を好み、江戸で有名な漢学者、川村瑞軒、伊藤仁斎等に師事した。漢学を通じて国を治める事と民を救済する意識が目覚め、また多摩川の氾濫で苦しんでいた地域の窮状を何とかしたいとの思いから、独学で治水についても学んでいたと思われる。
 家督を継いだ八代目川崎平右衛門定孝(以後平右衛門と略す)は押立村の名主を務め、弟と協力して多摩川の治水対策や窮農には私財を投げ打って農民を救い郷土のために尽くしていた。
地域ではその深い見識と力量さらには農家の立場を尊重した取り組みから農民の信望も厚く、当時の上坂代官からも信頼されていた。
 転機は1738年(元文3年)武蔵野地方の大飢饉、餓死者が出るほどの窮状が公儀に聞こえ、八代将軍吉宗直々に上坂代官が詰問され対応できず。上司であった大岡越前守に相談した結果、平右衛門を武蔵野新田世話役として抜擢(46歳:1739年元文4)したことからである。
 この時下役として府中町番場(現宮西町)の矢島藤助と押立村(現押立町)の高木三郎兵衛の両名を採用し、自らは世話役に専念するため、家督を弟に譲った(実家は今も代々続いている:写真参照)。
2人の下役と協力し農民と寝食を共にし、農業運営の指導から、玉川上水の普請、小金井桜堤の植樹、多摩川の治水工事など手腕を発揮し、崩壊しかけた武蔵野新田農家を見事に立ち直した。
 1749年(寛延2)56歳で美濃国(現島根県)の本田代官となった。
木曽川、長良川、揖斐川の木曽3川が合流する美濃国の農民は水陸不明の地と言われる輪中で生活していた。長良川が増水すると、逆流する水で輪中内が水に浸かり大きな被害が出ていた。
平右衛門は五六川の改修と囲提の築堤、閘門(こうもん)(牛牧閘門桶)設置の大工事を完成させた。
この閘門により増水時水の逆流を止め、人々を水害から救った。
さらに1762年(明和4年)62才で美濃国(現岐阜県)の本田代官となり、石見銀山の経営にも手腕を振るった。
1763年(宝暦13年)幕府は鉱山資源の産出が減ってきたことから銅山の開発を沙汰し、さらに1766年(明和3年)には大阪表に銅の専売を断行した。
この時平右衛門は勘定吟味役兼石見銀山奉公に抜擢されたため、息子に代官を引き継がせ、自らは江戸に戻り、神田に屋敷を拝領した。
翌1767年(明和4年)6月6日江戸にて病没。
 このように武蔵野新田世話役での活躍、代官となってからも美濃国治水工事、石見銀山経営と何れも深い見識と力量、人柄が評判となり、また農民と寝食を共にして取り組む姿勢から行く先々で農民から慕われ、感謝され、各地に慰霊碑や謝恩塔が建立され今も残っている。
 国分寺市北町にある妙法寺境内には代官死後32年目の1799年(寛政11年)に武蔵野新田74ヶ村の農民によって謝恩塔が建立された。
また武蔵野新田の飢饉で農家が苦しんでいる時でも、娯楽の必要性を心得、玉川上水の提に桜を植え農民の心を癒した。その桜の一部が桜の名所「小金井の桜」として今でも親しまれている。
 岐阜県瑞穂市では「川崎治水翁顕彰会」がつくられ、平右衛門の墓がある興善寺では、現在も命日には法要が行われている。
 来年6月6日の命日は没後250年を迎えることから、何か府中市として企画し、多くの市民の皆さまに府中市が誇れる先人、平右衛門を知る切掛けになればと思っています。
代官川崎平右衛門の事績(渡辺紀彦書)参照
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